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平成30年春の文化財ガイド 相模野台地を訪ねる

3月11日(日)南児童館から小田急相模原駅に向かって文化財をガイドしました。
気候は晴れの気持ちのよい春です。市内から23名が参加されました。
 橋本から藤沢につながる辰街道に沿って歩きます。今日はコースには坂道が有りません。台地の平らなところを南から北上します。

辰街道
特長「八里橋なし、九里坂なし」平らな相模野台地を南北に走っています。ガイドは下田会員。
六道の辻
はっきりした説明のつかない六方に拡がる道。六叉路。ひと昔前は「六道の辻商店街」と言われた。
更にその前は野っ原。ガイドは下田会員。
集団養鶏場跡地
戦後広大な高座海軍工廠と云う飛行機工場が取り払われ、その一角に横浜の養鶏業者が組合をつくって大規模鶏卵生産施設を立ち上げた。画期的な新ビジネスでした。ガイドは後藤会員。
背景にある大きな団地群も養鶏場のごく一部でした。説明補助資料を掲げる下田会員。
参加市民はA班B班に分かれてガイドをうけました。B班の先頭は大串会員。交通量の少ない道をちんで先導します。
相模野基線南端点
近代測量地図をつくるに当たって、先進技術の三角測量が導入されました。地上の一本の線の正確な長さが基本中の基本でした。相模野基線がそれです。ガイドは一等三角点と共に囲まれて見えません。
小松原新開
江戸時代は相模野台地は秣場といわれた耕作もままならない所でした。明治も後半になってここを開拓する若者が現れました。開拓は成功し小松原新開と呼ばれています。ガイドは伊藤会員です。
畑地灌漑用水路跡
相模野台地に用水を通すことは悲願でした。戦後、神奈川県は食糧難も背景に当事業を貫徹させました。陸稲、麦、さつまいも等の農産物生産を応援しました。役割を終えて暗渠になっています。ガイドは伊藤会員。
畑地灌漑用水跡2
水道の普及は用水の役割を減らしましたが、更に工場進出で宅地化が進み農地が激減し用水はその役割を終えました。ガイドは田口会員。
仲よし小道
相模が丘仲よし小道を進みます。暗渠になった用水路跡は市民の散策路に変わり、いく種類もの桜が植樹されています。ソメイヨシノは未だつぼみで河津桜が満開でした。
相模野基線中間点
基線は当初5209m余と測量されましたが、再測量で5210m余と修正しています。その時にこの中間点が測量に重大な役割をしめました。貴重な文化遺産です。ガイドは田口会員。
見分塚
未だ元気な人を募ってオプションの見分塚ガイドをしました。江戸時代に鶴間村と座間村が秣場の境界越えをしたとお互いがお互いを責める騒動がありました。幕府は境界に沿って監視できる小山を築いて監視させました。ガイドは生涯学習課長浅野氏が駆け付けられました。
この情報は、「座間ふるさとガイドの会」により登録されました
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