座間ふるさとガイドの会
                             

H26 春の文化財巡り 「八王子街道」を訪ねる

 3月16日(日)座間ふるさとガイドの会は恒例となっています、「春の文化財めぐり」を行いました。今回は江戸時代の街道「八王子街道(北)」コースです。今年の厳しい冬払拭するよく晴れた日和で、16名の方がご参加くださいました。
 
 江戸時代に八王子街道は東海道の平塚と甲州街道の八王子をつなぐ往還道として整備されました。武士・商人の行きかう座間宿は要所として栄え、街道に残る旧跡・史跡をガイドしました。

9時15分過ぎ、座間市公民館前にみなさん集まってこられました。
出発にあたって 9時30分
市教育委員会の挨拶、ガイドの会からガイド時の諸注意を確認しました。それでは出発です。
9時40分 田中遺跡1
7C〜10Cの縦穴住居跡。NTT局の敷地内に教育委員会が建てた看板があります。遺跡は調査された後埋め戻され建物の下に眠っています。小さな集落を作っていたようです。
田中遺跡2
須恵器、土師器、灰釉陶器、土錘、墨書陶器が出土しています。600年ほど前に洪水で集落は流されてしまったようです。
9時50分 天王・大縄道1
大縄とは領地の検地を行うことで領主が変わったりして行われました。天王は鈴鹿神社のお神輿を言いましたが、鈴鹿神社を意味したりします。
天王・大縄道2
鈴鹿神社の前の道からNTT局の十字路を西に向かったところに碑は立っています。この道を基準に縄を張って検地をしました。
9時57分 河原宿の大日堂1
大阪夏の陣の戦いに出向い人が戦いが終わって座間に変える際に大日如来像を持ち帰りました。
河原宿の大日堂2
元和元年、村人たちは大日如来を祀ってお堂を建てました。この解説版は歌人鈴木英夫先生が書かれています。
10時07分 油面の庚申塔1
座間1丁目の八王子街道(現相模原茅ヶ崎線)に庚申塔があります。
油面の庚申塔2
油面の庚申塔と呼びますが、道路整備などでここに纏められたものです。庚申塔は痛みが激しいですが、文字は太く深く彫ってあり読めます。この場所から藤沢街道がスタートします。
油面の庚申塔3
<油面>とはなんでしょう?
神社仏閣に燈明料として所領を寄進することがあります。燈明の油代の代わりにある地域を与るが、そこからの年貢を領主に出さなくてよいということです。
油面の庚申塔4
<油面>は<油免>の変わったもので、その地域のことも意味するようになったようです。
油面の庚申塔5
<油面>という変わった呼称の説明に聞き入っています。
10時15分 市天然記念物 桑の木・普通十文字種
座間市とこの近隣の街も蚕糸産業が盛んでした。農業の傍ら蚕を育て、その餌の桑を大事に育てていました。この片野さんの宅地内に貴重種の桑が残っています。
10時40分 陣屋稲荷小路1
内藤清成は徳川家康の重臣ですが、家康の東国入りに際し領地として内藤新宿の地域と座間郷を拝領しました。
陣屋稲荷小路2
内藤清成は座間郷を領地としたが、自分は江戸城詰めで座間郷は代官を置いて統治しました。その代官施設を陣屋と言いました。
陣屋稲荷小路3
陣屋の周りは人の行き交いも多く栄え道も整備され、稲荷神社も建てられ今に続いて残っています。
10時55分 宗仲寺1
鎌倉の大長寺の末寺、浄土宗。
阿弥陀如来像を祀る。
内藤清成が実父竹田宗仲の隠居の為に創建したお寺です。
宗仲寺2
内藤清成は高座郡座間村も領地とした際に、座間の郷士を代官に任命しました。実父竹田宗仲はお寺で楽隠居でしたでしょうか、それとも代官のお目付け役だったのでしょうか。
宗仲寺3
境内は早咲の桜が満開で迎えてくれた。
宗仲寺4
ガイド中に、和尚様が出てこられ寺院内に入る様にお誘いをいただきましたが、時間に余裕が無くこのまま続けさせていただきました。
宗仲寺5
波阿弥陀仏の六字名号の碑や蜻蛉灯篭は市の重要文化財です。
宗仲寺6
内藤清成のお墓や開基和尚の源栄のお墓は立派です。源栄和尚は徳川家康の覚えもめでたい坊さんであったようです。
宗仲寺7
家康は鷹狩りの際に宗仲寺で休息をとったと言われていて家康から贈答された茶器などが残されて寺の宝物とされています。
宗仲寺8
近年、国立国会図書館の資料から、寺の境内の欅の木が徳川家康の「お手植え」と認められました。
宗仲寺9
徳川家康は駿河城で亡くなり久能山東照宮に安置されたあと、日光東照宮に棺を遷される途中に当宗仲寺に宿泊されています。
11時24分 座間神社参道を行く
八王子街道から鳥居をくぐって座間神社に続く参道を行きます。
11時25分 座間神社1
座間神社のご神水。昔、座間郷に流行った疫病を治したと云われる湧水です。この水は江戸時代に八王子街道の座間宿に敷設された堀割がありその源泉として生活用水になりました。
座間神社2
当神社は座間地区の氏神様です。欽明天皇の時代に飯塚権現があらわれ水を湧き出させた伝説があり飯塚権現を祭神として飯塚権現社といっていました。
座間神社3
明治の神仏分離令で座間神社に改名するとともに日本武尊をお祀りするようになりました。
此処は座間丘陵の端に位置し、西側に丹沢山系をきれいに見渡すことができます。
11時40分 安養寺1
江戸初期の建立ですが、江戸の終わり頃か廃寺となり、今は中宿の公民館となっています。
安養寺2
「中宿の不動様」と村の人々が親しんでいました。真言宗総持寺(海老名)の末寺で、本尊は不動明王で公民館の中に今も安置されています。
安養寺3 11時50分解散
廃寺の後、明治10年代は真誠学校といい、28年座間小学校ができるまで、座間宿村の子弟の教育の場でした。
ガイドは終了。お疲れ様でした。

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